嬉しいこと

書いては消して。私の幸せも辛いも独り占めしていた。少し前の私ならば、きっとこうやって吐き出さなければ物足りなくて苦しんでいたけれど。今は、幸せも辛いも一人で背負うことができるくらいに幸せが優位になっている。ありがとう。

 

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今日は、私の幸せを誰にも全てを伝えることはないし。多分私の夢が一瞬でも叶う時だと思うから、残そうかなとかそういうところで。私の夢は、看護師でもなく、OLでもなく。小学校の頃に文集に残る、「音楽関係の仕事に就くこと」というアバウトな夢だった。最近は、やっとその悪夢から解放されて理想というものを目指すように変わったのだけど。私の現実からの逃げ道はいつもその夢にあった。だから結局のところ悪夢である。

家族や教員の期待とかで看護学校にいた時も、看護師をやっている時も、苦しくなったら貧乏でも音楽で食ってやるとか言って周りにヘイトまき散らかして嫌われていた。

毎日流行りの音楽を1位から100位まで垂れ流して、ドラゴンボールハンターハンターとおばあちゃんが作るベチャベチャのおにぎりと赤いきつねを楽しみに生きていた幼少期の私には、炭水化物と音楽と友情と努力と勝利しかなかったのだ。

けれど不思議なことに、自分でそれを作りたいということはない。その音を届けることが私の輝かしい夢だったのだ。ただ、届けるって事は情報量が多すぎて私は何も具体的にその希望に向き合うことはできず、私への期待に応えることがみんなの幸せだと安心してしまった。諦められず、悪夢を見て。写真してたから、ちょっとした希望を持って映像を初めてみたり音楽に少しでもと動いてみたけれど。私の好きな人には敵わず。私の好きな人の作るものを見て、満足しているのが現実。

結局、私は消費者でしかないのだ。

 

だから消費者なりに自分の悪夢に向き合って見ようとも思う。

 

まあ、私が何を言いたいのか。なんてきっと私にも興奮していてわからない。

ただ、その興奮の理由は私の好きな人が見ていたものがその人の力でより良いものとなり、深夜の眠気まなこを擦るあなたたちにエンターティメントとして音楽を届けると言う私的特大イベントがあるからである。

結局私の夢は、私の好きな人に背負わせている。好きな人が、それを頑張っていることがとても尊くて。それが私の幸せてあると言うこと。

私の好きになった人が、私の夢を背負ってくれていたから、今私は幸せに理想を現実に動こうとできると言うこと。だから、私はその人の為に頑張れるし、私のためにも頑張れる。

言い方悪いの。でもね。私の好きになった人が、私の好きなものを作っている人でよかったなっていつも思っている。

だから、ありがとう。ありがとうって。言う。これ見てしまって嫌われないといいな。

 

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